2009年10月31日土曜日

エアーマットレス

今はいい商品があるんだね。
昔は、床ずれを防止するために、数時間おきに寝返りをうたせたりしてたのに。
ばあちゃんが借りたエアーマットレスは、床ずれ防止機能のついたエアーマットレスだった。
これは優れもので、エアーによってベッドの最高点が絶えず変化していて、身体との接点が常時変わることによって、床ずれを防止するようだった。
実際に寝たことがないからわからないけど、柔らかくも硬くもなくいい感じかなと。
これだったら、ずっと同じ姿勢で寝ていても床ずれの心配はしなくてもいいよな。



ちなみに、定価が197,400円だって。
でも、お金でその労力とリスクが回避されるなら安いもんだよね。

2009年10月30日金曜日

ベッド

まぁとにかく、今のベッドのマットじゃ何れ床ずれも出来るし、その前にベッドに戻したとしても介護には低すぎて大変だって話をしてて。
担当のケアマネさんに相談したようで。
長引くのなら買うのもありだけど、とりあえずレンタルでいいでしょってことで、市の社協(社会福祉協議会)から借り受けることになって。
もしかしたら友だちのケアマネさんだから配慮してくれたのかもしれないけど、とにかく新品の介護用ベッドが届いた。
普通は上半身と足下を起こすのが普通なんだけど、これはベッドの高さも変えられるようになっていた。
何気ないことなんだけど、このベッド自体の高さの調整が出来ることが、後日寝たまま洗髪をするのにとっても役立ったのね。



この写真はフランスベッドのHPから持ってきた。
そこには、マットのない状態で定価で324,000円と記されていた。


2009年10月29日木曜日

そして

在宅介護と決まった。
とにかく、今までの状態と変わらないんだけど、骨折しているから動かすのが大変。
ちょっとでも動いたら痛むようで、苦痛に顔を歪めている。
歩いていた頃は介護パンツを履いていたんだけど、この状態では脱ぐことも困難になったために、オムツに換えた。それでも交換するときには痛がった。
ズボンの脱ぎ下ろしもパンツと同じため、オムツだけで過ごした。腿から先は、ジャージの股下を切ってゴムを入れそして足に履かせていた。これで寒い感じはしなかったはず。
起き上がることも出来ないから、食事も全てスプーンで口元に運んであげて食べさせることになった。
骨折している以上自分で寝返りをすることはない。
と言うことは、しばらくこのままにしておくと床ずれが出来てしまう。
そうなったら、もう寝ていることも苦痛になってしまうだろうと、それが気がかりだった。

2009年10月28日水曜日

自然治癒

後日あらためて病院へ行き、診察してくれた整形外科の先生と面談した。
曰く、
・骨折はしているが、治療法として手術、時間薬の自然治癒の2通りの選択肢がある。
・手術は、部分麻酔でするために、認知症のクランケには難しい。何故なら、術中に動いたりとかの自分で律せないことが起こり得るから。その上、体力的に耐えられるかどうかの問題と、傷が癒えるまでの時間が必要。
・自然治癒は、最低でも2ヶ月はかかるだろう。痛みが和らぐのには1ヶ月はかかると思われる。ただし、ギブス等で固定する術もなくため、動かなければ痛みを感じることはないが少しでも動けば痛みは伴う。
・何れにしろ、よほどのことがない限り寝たきりの生活になると思われる。
だった。
弟には事前に、僕に一任するよう話をしてあったので、僕としてはこれ以上身体にメスを入れて苦しめたくないから、後者を選択した。
骨折で入院出来る訳ではないので、完全に在宅介護ということになった。

帰り道、やるせない思いを抱きながら考えたことがあった。
「でも、これで徘徊の心配はしなくても良くなったね。」
正直、そう僕は考えてたんだわ。
ばあちゃんごめんよ。

2009年10月27日火曜日

気弱に

とにかく今は、ゆっくり寝ているしかない。
治療方針を相談に出向くまではね。

翌日だったかな、会社から戻って様子を伺いにいくと、
「私は、もうこのまま死んでしまう」なんて気弱なことを、真顔で言っていた。
聞き取れないくらいの、かすかな声で。
「何言ってんのよ、まだまだご飯が毎日食べられるんだから、そんなに急には死なないよ」なんて軽口をたたいてすぐ部屋を出た。
申し訳ないのと不憫なので、とても見てられなかったから…。

2009年10月26日月曜日

結局、それが認知症

家に戻ると、ばあちゃんが居た。
僕は骨折なんだし、きっと入院してると思ってたんだ。
でも、かみさんの話だと、今は何も治療出来ないし、手術する、しないの回答を聞いてからの行動となると。
つまり、認知症であるが故、この程度の骨折では入院する必要がないってこと。
だからもっと言えば、本当に認知症だけでは入院することは出来ないってことだよね。
処置出来る訳でなく、投薬治療と言っても、進行を抑える程度だから。
つまり、点数が稼げないってことなんだろう、きっと。

かみさん曰く、今の病院の若いスタッフだと、介護は出来ないしかえって扱いもぞんざいだと。
だから、こういう場合は肉親が見るに限るのって。

で、今後の治療方法について相談しなければいけないからと、僕が結局後日病院に出向くことになった。
当然、会社は休まなきゃいけないよね。

2009年10月25日日曜日

メールには…

かみさんからのメールには、「右大腿骨頚部骨折」と書かれていた。
つまり、この図が示すような、












骨盤と足との接点の部分、上の青いブル罫の部分が骨折したということ。
 転倒には気をつけてたんだよ、僕としては。
段差を極力なくして手すりをつけて、杖も持たせて。
一度夜中の付き添いの時に、オマルに行こうとしてベッドからずり落ちたことがあったから、この頃はベッドのマットだけにしてたんだ。
それくらい気をつけてたんだけど、それでも事故は起きてしまった。
もう悔やんでも悔やみきれないし、過ぎたことは享受するしかないんだけど。
それでも、それから何日も自分をずいぶん責めてた。

その日は、それから仕事も半分手につかず、「入院したのかな、手術するのかな」って考えていた。

2009年10月24日土曜日

痛かったよな…

ばあちゃんは新型インフルエンザにはかかってなかったから、結果としてはデーサービスに行ってもよかったんだけどね。
でも、こういうご時世だし、遠慮したんだわ。
で、翌週から行こうと予約してたんだけど、その前にある出来事が起きてしまった。

翌週の月曜、家に戻ると足が痛いってソファーに座り込んでいて。
テーブルにも移動出来ないからって言うから、ソファーの前に僕の仕事用の机を置いてとりあえず夕食を済ませてもらったんだけど。
聞くと、いまだにどこかわからないんだけど、ちょっとした段差でコケて尻餅をついたってことらしくて。
あまりに痛がるから、翌日にかみさんにお願いして病院へ連れて行ってもらった。
僕としてはどこかから自分でソファーまで移動してきてるんだし、ちょっとした打撲だと思ってた。
でも、かみさんから着たメールには、思いもよらない診断が書かれていたんだわ。

2009年10月23日金曜日

新型インフルエンザ

と言っても、ばあちゃんが感染したんじゃないけど。
お盆に帰省していた大学生の息子が、戻ったとたんに発熱して。
検査したら新型インフルエンザってことがわかったから、もしかしたら家族みんなが保菌してるかもしれないと思って。
翌週のデイサービスには、ばあちゃんを行かせなかったんだよね。
結局、うちの家族も弟家族も誰も発病しなくて、息子一人が流行に乗っただけのことだったんだわ。
人騒がせなやつ。

2009年10月22日木曜日

粛々と時は流れ

こんなことがありながら、状態が良かったり悪くなったりを繰り返しながら時は流れていって。
そうして2009年の夏になっていた。
この頃になると、横になってることが多くて一日中ベッドの上に居ることもあった。
お盆に戻った弟には、かなり弱ってる(って言うか気力の低下)と写ったらしい。
実際側で見ててもそうだったから。
毎年8月15日に家でお経をあげてもらってる菩提寺の住職には、例年通り3家族13人でお参りしたもののばあちゃんが居ないこと(たまたまこの日が、デイサービスに行く日だったから)非礼をお詫びしながら事情を話した。
それでも元気に戻ってきてたし、それは良かったんだけど。
でも、この日でデイサービスが受けられなくなるとは、誰もが思ってもいなかった。

2009年10月21日水曜日

妄想2

ある時、親父の名前が出てきた。
「女にもてて心配やったわ」って呟いてた。
ちょっと待ってな、そんな話一度も誰からも聞いたことないやん。
それに、僕が小学校に入った年に会社辞めて、自営業の道に入ったんやし。
ずっと二人で仕事してたやん。
どこでこんな話になるんかな。
それに、これも妄想なん?
お袋に聞かなきゃって思ってしまった(笑)。

2009年10月20日火曜日

妄想1

妄想はね、認知症の付き物なんろうね。
躁鬱と同じように、状態がいい時は普通なんだけど、悪い時は妄想の世界に生きている。
どういう訳か、ばあちゃんは赤ん坊が出てくるようで。
沢山の子に囲まれてるとか、よく言ってる。
座敷童でも居るんかいなって思うくらいにね。
よく子ども返りをするって言われるけど、それは今まで遭遇したことはない。
今でも、やっぱり毎日状態は変わっていて、妄想の世界と現実の世界を行ったり来たりしている。

2009年10月19日月曜日

認知度テスト

最初の診察をしてもらったK病院でも、初診の時は簡単な質問があった。
時刻を時計で図示したり、年齢や今日の日付を答えさせたり。
認知症の簡易検査の一つなんだろうけど。

これは、認知症の介護レベルの認定の際(当然見直しの際にも)、主治医に意見書
を書いてもらう時にも行われる。
ミニメンタルステート検査とか、長谷川式簡易知能評価スケールとか病院によって
違うのかもしれない。
いつだったか付き添っていった時も、このテストをされてた。
ばあちゃん、野菜の名前を言いなさいって、野菜なら看護士さんも知らないくらい
知ってるやん。
どうしてそんな少ししか出ないの?
オクラなんて珍しい物でなくて、キュウリはナスがあるやん。
ゴーヤとニガウリは同じでしょ。
シイタケは野菜じゃないやん。
って、すごく歯がゆかった。

長谷川式
自分でやってみるといいかもよ。
http://www.u-raku.co.jp/03_u-raku/hasegawashiki/index.html

2009年10月18日日曜日

こちらはままあることで

ウンチのことは書いたけど、オシッコの粗相はずいぶん前から何度もあった。
ベッドの周りにはカーペットを敷いていた。何度も畳の上でされてたからね。
3月頃から僕が隣の部屋で寝てたことは書いたけど、たまに物音で起きれないときがあって。
状態のいいときはちゃんとオマルで用を足してて、オシッコの仕方がわからない時は、枕元まで呼びにくることもあった。だけど、本当に悪い時は粗相をしてしまうようで。
だから、夜中でも朝でも、起きると必ず様子を見に部屋に行ってオマルなんかを確認するんだけど。
ある時、ピシャって素足が水たまりにはまった感触があって。
オマルの真ん前に用を足してたようで…。
怒るに怒れないし、ゴメンな起きてやれなくてって謝りながら、明け方から掃除したこともあったわ。

2009年10月17日土曜日

その頃には

アルツハイマー型認知症、これがばあちゃんの病名。
その特徴の一つに、『小刻み歩行』という症状があるんだわ。
ばあちゃんも間違いなくそうで、この春の彼岸にお墓参り(家から歩いて数分のところにあるんだけど) に行ったわけよ。
家を出てすぐのところにちょっとした坂道があって、そこにさしかかった時、「勝手に行ってしまう、止まらない止まれない」と言いながら、坂道を小走りに走っているような状態で下がっていって。それも歩幅が20センチもないくらいの状態で。
あわてて後ろから抱きかかえたからこけることなく立ち止まったけど。

その頃から、家の中で杖をついて移動するように、杖を買い与えてた。
普通に平坦なところを歩く時の歩幅は、せいぜい15センチ。
チョコチョコって感じで歩いてる。
よちよち歩きって感じ、歩き始めた子どものように、一歩一歩確かめるようにすり足で。

僕の家は典型的な古い田舎家屋。
全然バリアフリーなんて考えられてないから、いたる所に段差があって。
ちょっとした段差も、つまずく原因になるし、降りなきゃいけない時は、まだ不安なんだろうね。
だから、この頃に意識して、段差をなるだけ少なくするように踏み台を作ったり、何カ所も手すりを付けたりした。
ばあちゃんがコケて、痛い思いをしなくていいようにね。
そのくらいのことしか、僕にはしてあげられなかったから。

2009年10月16日金曜日

刺激にはなってるから

デイサービス。
幼稚園へ行っておいで。
温泉へ行っておいで。
そう言って送り出してた。

それはそれで、少なからず刺激にはなってたと思う。
一人ちょっとでも触るとスピッツのようにキャンキャンと騒ぐおばあさんが居て。
その人を避けたいのに、何故か隣に座っているとぼやいてた。
「今日は吠えるばあさん居たかい?」
「そうよ、また隣やったんやわ」
そんな会話が出来てたから。

2009年10月15日木曜日

そしてデイサービスへ

どんな施設がいいのか、それはどこにあるのか、そんな話をよくした。
市の介護老人ホームは3年待ちだと既に聞いていた。
僕は家から車で5分くらいの、民間の施設でいいやんって思ってた。
でも、ケアマネの友人に聞くと、そりゃ立場上こういう言い方しか出来ないけど、「私だったら、私の親は預けない」と言う。
ってことは推して知るべしなんだろうし。
かみさんの勤務先の近くにそこの市営の施設があるんだけど、そこは私の地区は区域外ということで受け入れてもらえないようで。そこの市役所の老人福祉課に友人がいるから、よほど頼もうかとも思ったけど、彼を困らせるだけだし断念。
ステーションの婦長さんにもいろいろ聞いた。
かみさんは時間をつくって、いいと思われる民間の施設何カ所かを実際に見てきてくれて。
そんな時に、ケアマネの友人から、ショートステイの前に市の施設でデイサービスから始めたらどうかというアドバイスをもらって。
そこだと、多少彼女の目にもとめてもらえることもあって、それをお願いすることにした。
で、毎週木曜と、僕の土曜休みの土曜だけ、お世話になることにした。
本当は迎えに来てもらえるんだけど、木曜はかみさんが、土曜は僕がそれぞれ施設まで送っていくことにした。

僕の土曜の時間がある程度拘束されることになったけど、それはそれで仕方がないこと。

2009年10月14日水曜日

僕の方もハードだった

2009年3月

薬もその頃には「アリセプト10mg」と、アメリカは20mgまで処方されるようだけど、日本ではMaxのところまで処方されるようになってきて。

認定が上がったことが表すように、やはり状態は悪くなって、幻覚やら妄想が頻繁に起きるようになってきていた。
この頃から、添い寝は出来ないまでも、せめて夜だけでも近くにいてあげようと、襖を隔てた隣の部屋に簡易ベッドを置いて寝るようになった。夜中に少しでも物音がすると起きて、オマルを使えるか見てあげたり、たまには徘徊のように部屋から出てくることもあった。昼間寝てることが多いからか、だいたい1時間起きに起きるという状態が毎日毎日続いて、正直会社で眠くて仕方ない時もあったくらい。でもこれは、8月まで続けてきた。

この程度だったら、ずっと家に居てもらっても何とかなるんじゃないかなって思いと、この状態を続けたらばあちゃんも僕らも、肉体的にも精神的にも参ってしまうかもしれない、という思いが折り重なるようにグルグル頭の中を巡っていた。これ以外のことが考えられず、春になって休みに農作業が入ってきだして、身体もきつかった。

この頃始めて、近所(と言っても、歩くと20分くらい)に住むばあちゃんの姉さんにばあちゃんの正直な状態を打ち明けた。
ちょっと元気がないけどって心配して、痛い足をおして遊びに来てくれてたから。

2009年10月13日火曜日

そりゃね

息子はこの時だけだったし、僕にしたってそれほど数多く遭遇してるわけじゃないから。
かみさんは、もっともっとこういう場面に遭遇してるから。
でもこうやって、だんだん壊れていくばあちゃんを見るのが、正直辛いなって思うこともあって。
このまま在宅で面倒を見ていくとしたら、間違いなくかみさんは仕事を辞めなきゃいけないなと。
だとしたら、ショートステイとかの方法を考えなきゃいけない時期にきたねと話をして。
市の担当のケアマネージャー(以後ケアマネ)が、かみさんの友だちでもあるからプライベートでいろいろ相談を始めて。

それと平行して、症状も重くなってきたから再認定をしてもらった。
そして今度の認定は「要介護3」

2009年10月12日月曜日

息子も

中坊の息子の話。
平日だから、夕方は彼とばあちゃんしかいないわけで。
今でテレビを見てたら、何だか台所でばあちゃんの様子がおかしいって思ったそうな。
ズボンを下げてしゃがんだような…。
ばあちゃんがその場を離れたから見てみると、やっぱりウンチをしてて。
ただね、ばあちゃん何を思ったのか、バケツに座ってしたようで。
彼はそれを、外まで持って行っただけで済んだんだわ。
(後始末は、夜戻った僕がしたけど)
でもね、彼はばあちゃんのすることに全く腹もたてずに、ちゃんと上手に接してくれてて。
小さい頃世話になったから、その恩返しだって。
ばあちゃんがちゃんと物がわかっててこの話を聞いたら、きっと涙すると思うな。

2009年10月11日日曜日

恥ずかしいけど、これが現実

今年に入ると、好調、不調の差が激しくて、不調の時はパンパースの中にウンチをしてるのがわからない時がある。
ある土曜、僕が昼ごはんを作って一緒に食べようと呼ぶと、居間に寝ていたばあちゃんが臭いとともにやってきた。
「ウンチしてない?」って聞いても「してない」と言うから、おかしいなと思いながらも極力話しかけながら食べ始めて。でもやっぱり変だよなってことで、ちょっとお尻を覗くと、もうしてから時間が経っていてましてや寝転んでいるから、いたるところに広がってついていて。ズボンに入れたセーターの端にまでも…。
怒りたいけど怒れないから、そのままトイレに連れて行って、まず下半身をあらわにしてお尻まわりだけぬぐって。それからシャワートイレを何度もかけて、拭いても拭いても取り切れなくて。あまり何度もするもんだから、シャワーが水になってしまって、「冷たい!!」ってこっちが叱られて。
それでも何とかきれいになったから、それからお風呂で本当のシャワーをあてて洗って。
って、食事前にとんだ騒動だったわけで。

2009年10月10日土曜日

あえて話すことじゃないから…

オマルの掃除は、使ったことに気づいた時にはしてた。
と言って、別にかみさんに報告することでもないし、きれいだったら彼女も何もしないんだから、ね。

でもある時、帰ってばあちゃんの様子を伺いに部屋に入る(これが日課になってたから)とちょっとウンチの臭いがしてる。オマルを覗くと驚くほど山盛りになっていて。もともとひどい便秘の人だから出るときには出るんだろうけど、そのままにしてもおけないから片付けようとした。そしたら「後で世話する人がきて片付けてくれるから、そのままにしておけばいい」って言うわけよ。もうこれが幻覚なんだよね。
でもまぁ、その時はきれいに片付けてあげた。
そして、僕より遅く戻ってきたかみさんと夕飯を食べてた時彼女に、「たまにはオマルの掃除もして欲しいわ」なんてイヤミ言われたけど、何も言わずに「ハイ」とだけ答えておいた。
でも、その日寝る前に「さっきはゴメン」と一言かみさんが言うのね。
どうやら(かみさんが様子を伺った時)正気になってたばあちゃんが、ウンチが出たこと、それを僕が片付けたことを話したらしい。
「別に…」
と言うと、次の言葉が降り注いできた。
「量はどれくらい? 色はどうだった? 硬さは?…」
その時、それを見て健康状態を推し量る必要があることを初めて知った。

2009年10月8日木曜日

ここからが本当の介護で

どうしてアルツハイマーが進行すると、シモの処理が出来なくなるんだろ。
誰もがそのようだから。
今年に入ってからは特に、トイレの仕方がわからないからって、トイレまで連れて行き指示をしてあげる。
「まずフタをとって、そっちにお尻を向けて立って、パンツを脱いでね。それから座って用を足して終わったらトイレットペーパーで拭いて」なんて言うと、一応その通りにはしてくれるんだけど、一人だと出来ない。オマルではまがりなりにも何故か出来るから、いつもそこでしてくれればいいんだけど、どうしてか昼間はトイレに行きたがって。当然去年から介護用パンツ(大人用パンパース)を穿いてるから、間に合わなくても問題はないから、自分の足で歩かせて自分でさせるように努めてた。
かみさんの場合は、もう少し手を添えたりしてあげてたようだけど、別に僕が連れて行ってもばあちゃんから文句は言われなかったな。

そうして、お風呂も入れなくなってきてたから、扉を開けたままずっと様子を見ててあげてた。身体とかは自分で洗えないから、それはちゃんとこっちが頭の先からつま先まで洗ってあげて。湯船につかってるのはやっぱり気持ちいいようで、これは喜んでくれてた。
でも正直、お風呂だけはかみさんにほとんど任せてたわ。
なぜって、今なんかもっとそうなんだけど、やせ衰えてる母親の姿を見るのが、正直辛くて直視出来なかったから。

2009年10月7日水曜日

これからのこと

2009年正月明け

さて、認定が出たこともあり、今後をどうするか考える時期に至ったわけで。
お正月に戻ってきた弟とも話をしたけど、僕に一任するとだけ。遠いから面倒が見れるわけじゃないけど、金銭的な負担はするからということで。
で僕としては家で見たいと思ってたけど、共稼ぎにはそれも負担。まだ自分のことは何とか出来てたけど、それでもやっぱり心配だから、かみさんはパートに勤務先に無理言ってしてもらった。これなら時間になったら気にしなくても帰ることが出来るから。この頃から、朝は食事の世話をして化粧もそこそこに飛び出していって、お昼に戻って一緒に食事してまた飛び出して、そして勤務を終え戻ってから夕食の支度をしてという彼女の生活が始まって。
だから僕は、よけいに休みに出かけないように意識して努めるようなっていた。

2009年10月6日火曜日

癒しの…


そんな中、少しでもばあちゃんの癒しにならないかなと、柴犬の赤ん坊が我が家に嫁いで(オスだから婿いで?)きた。9月生まれなんでちょうど今1歳を越えたところなんだ。
だけどばあちゃんにはちょこまかしすぎて相手が出来ず、結局かみさんの癒し犬になってしまったわ。
彼女が携帯で撮った写真だから画質が悪いけど、来て2月後くらいの彼。





そして、本当のアルツハイマーとの戦い?は、この頃から始まっていた。

2009年10月5日月曜日

介護認定

2008年冬
横になることが増えてきた生活で、活力も見られないし。それで主治医と相談して介護認定の申請をすることにした。必要書類をそろえて介護認定調査をケアマネージャーにしてもらい審査。結果は『要介護1』
『要支援2』がせいぜいかなと思ってたから、正直二人ともいきなり「要介護」認定がされるとは思ってもいなかった。
この時に初めてかみさんが、これから冬で寒くなるからポータブルトイレを買うからと言い出して。かみさんは友人である総合病院の訪問看護ステーションの看護士長(婦長)さんに紹介してもらって、専門業者で購入してきてた。僕は全く知らなかったんだけど、介護手帳を持ってると自己負担1割で介護用品が買えるそうで、それで僕が先走ってホームセンターなんかで定価でちゃちいのを買わなくてよかったってことに気付いたんです。
たしか、1割負担で3,000円以上する立派なのだから、買ったのって。

2009年10月4日日曜日

自暴自棄に…

2008年の秋
決定的におかしいのではなく、なんだかおかしいなって状態が続いていた。
だけど、確実に病気は進行しているんだろうなと、心の中では考えていた。

この頃、正直この先どうしていいかわからずに、自分自身の考えが持てず誰かに相談したかった。
会社での役職が、自分としてはこれ以上上がることはないだろうと思えるところまで上がったことによるストレスもこれに加わったことで、精神的に、少し自暴自棄になっていたから。よけいにそれを求めていた。
と言って男性に聞いても、たぶん答えがあるわけないし。
どちらかって言えば、男にしたら避けたい話題だし、ほとんどが奥さんに任せてるだろうから。

そんな中、ある時に知り合いの奥さんと話す機会があって、思い切って「嫁ぎ先の両親がボケたらどうする?」って聞いてみたんだけど、思いがけない答えが返ってきた。
「病院に入れて、兄弟で順番を決めて平等に介護する」って。
この時思ったんですわ、こういう問題は誰にしろ、経験している人、した人にしか話せないし聞いちゃダメなんだなって。
彼女にとっては、自分の親も含め全員健康のようで、介護のことなんて非現実的な話のようだから。
それだったら、こういう返答がくるのも当然のことだし。

でもこれ以後僕は、この話題を誰にも話していない。
アルツハイマーは間違いなく病気。
でも痴呆=阿呆のように感じてしまっていて、話すことが、その人の名誉を傷つけてるような気持ちが心の中にあるからなんだけど。と言って、そういう人をそういう目で見てるかと言えば、それだけは決してないよ。

それでも…

でもね、この月の終わりに弟夫婦の誘いで、沖縄へ旅行に行ってるくらいなんだよ。
ちょっと心配だったけど、弟曰く、全く問題もなく痴呆すら感じられなかったって。
それに日ごろは、朝夕の涼しい時には畑の草取りをしてくれたりしていて、それまでと変わらない感じだったし。
それに処方された薬は、アルツの進行を押さえる薬ってことだったから、僕としてはこのまま平行移動するだけだと思ってた。進行は止まったままだと。
でもね、秋を過ぎ初冬になった頃には、やっぱり徐々に進行してきて。
幻覚を見るのか、訳のわからないことをたまに口にするようになってきたんだよね。
ただだけど、まだそのくらいで、徘徊するとか誰が何なのかわからなくなるとか、そういう感じはなかったし。僕らもそんなに感じていなかった。
2008年になって年が変わった頃から気力がなくなったのか、じっと横になってることが増えてきたんだよね。
トイレに行くのも辛そうだから、部屋にポータブルトイレ(介護用のオマル)を買って置こうよって言っても、それをしたらもっと一気にボケるからっと言って、かみさんに却下された。

2009年10月3日土曜日

そして、その日が…

2007年7月

その先生は家から45分くらいのところにある、『ボケ外来』という専門の診療科を設けてるK病院の部長先生。その学会では有名なんだろうね、たけしの『家庭の医学』という番組で、ボケについて取り上げられた時に出演されてたくらいだから。
で、この日が正式にMRIを撮って診断をしてもらう予約がしてあって、仕事を休んで病院に連れて行ったわけよ。
MRI撮ってる間2時間くらいボ〜っとしてなきゃいけないわけで、ひたすら待つだけ。そのうちかみさんも午後から来てくれて、それでもまだ待ってて。これが大きな病院の現実なんだけど。
そしていよいよ順番が来て、診察室で話を伺ったんです。
ばあちゃんには、年齢相応の物忘れ程度の説明だけして安心させて、われわれだけ残されて本題に…。
結論は、「脳にある海馬が萎縮してきています。アルツハイマーの進度としてはちょうど半分くらいの病状になる」とのこと。おおよそ見当がついてて覚悟してたけど、この言葉は心臓に突き刺さったような衝撃だった…。
この先生実にいい人で、こんな遠い所まで通う必要はないから、薬は今の主治医に出してもらうように連絡しておくからと言ってもらえて。
この時処方されたのが「アリセプト(5mg)」。
しかし帰りの車中、ばあちゃんはホッとして元気に話しかけてくるけど、僕はどうしてうちのばあちゃんがって思いでいるから、すごく辛い会話だった。

その日の心の中での葛藤。
『どうして僕ばかりこんな目にあって辛い思いをしなきゃいけないのか。親父を15年前に亡くしてわからないままに家のことをやってきて、何もバチのあたるようなことしてないのに。それに、ばあちゃんだって、、、まだ70歳なんだよ…』

ことの始まりは

2007年夏 
うちの夫婦は共働きだから、ずっと晩御飯はばあちゃんが作ってくれていた。この頃は朝メニューを台所のホワイトボードに書き残してあって、夕方冷蔵庫から材料を出して作ってくれていたのね。でもそんな頃にある事件が起きた。
私は痛風があるから水分摂取量が多くて、どうしても夜中の3時頃とかにトイレに起きるんだけど、その日も同じようにトイレへ。で何気なく台所のテーブルを見ると、焼肉が一皿置かれてるんだわ。夕飯にこんなのあったっけかなって思いながらも、それ以上気にもしないでまた寝たんだけど、朝かみさんがどうしてこんなものが???って言ってるんだよね。
ばあちゃんに聞くと、孫が弁当を作ってくれって言うから夜中に起きて焼いたんだと。
これってもしかしたら…って、その時初めて夫婦してアルツハイマーを意識した。
そんな事件が2度立て続けにあったから、主治医の先生に相談して正式に検査をすべきという結論に至って。
それで、『ボケ』を専門に診察してる先生の友人を紹介してもらい受診することになったんだよね。

2009年10月2日金曜日

いつからなんだろ…‥

2007年春以前
いつからその症状が出てたのか、今となってはわからないんですわ。
でもね、2年前の2007年には、気分の浮き沈みが激しいってことで、鬱の薬を処方されてたんだよね。
もともと潔癖性なくらい神経質で、ちょっとでも体調が悪いと内視鏡したりするくらい、健康には気を使ってた人なんです。
特に配偶者を若くして亡くしてるからかもしれない。
とにかく、いつからかわからないけど、鬱の症状だと思ってた。
単に浮き沈みが激しいだけだって。
これも一つの前触れだったのかもしれないなって、今になって思うんだけど…。

2009年10月1日木曜日

はじめに

一昨日ばあちゃんがショートステイ先から戻ってきました。 きっと施設での刺激があるのか、すごく状態が良くなってきてるんです。
今まで悩み苦しんできましたが、それも何も相談なり聞くことが出来ないんです、男社会では。 そんな人たちの参考に少しでもなればと、ここまで来て書き連ねることにしました。
まずはこうなるまでの流れを順に書いていきます。 その間に、もしかしたら誰かの参考になる事柄があるかもしれないので。 その辺を読み取ってもらえたらありがたいです。