2009年12月31日木曜日

入院

ショートステイから戻ってきて、しばらく調子は良かったんだけど。
29日にちょっと熱が出たようで、38℃くらいだったけど。
これはもしかしたら誤嚥性肺炎かもしれないってことで、たまたま主治医のところが休日当番医だったんで昨日見てもらって。
CT撮った方がいいだろうってことで、近くの総合病院へ。
で、診てもらったんだけど、肺炎はそれほどひどくないけど、脱水症状がひどいから入院した方がいいだろうってことになって、昨日そのまま入院したんだわ。
たまたま昨日のそこの内科の先生は、なくなった親父も僕の胃潰瘍も診てもらってる先生で、かみさんとも旧知の仲だから話もスムーズに運んで助かったけどね。
それなりに気を使ってももらえるしで。
ちょっと寂しいお正月になってしまったけど、うちにいても点滴くらいは出来るけど、こうやってしっかり治した方がいいから。
早く気付いてよかったわ。
僕だったら、昨日熱は平熱に下がってたから病院に行かなかったと思うもん。

2009年12月26日土曜日

二週間ぶりに…

二週間ぶりに、ばあちゃんがステイ先から戻ってきた。
顔色もいいようだし、施設の話だと、折り紙とかのリクリェーションにも参加出来たようで、レベルは結構いい感じだった様子。
それって、とっても嬉しい話。

明日には上の息子が戻ってくる。
娘は30日に。
弟家族は31日に来るようだし、にぎやかな家庭になるわ。
ばあちゃんも、きっと喜んでくれるはず。

2009年12月20日日曜日

訪問

本当はね、今日ばあちゃんの様子を見に出かけるハズだったんだけど。
大雪が降ったし、うちよりもっと雪深いところへ行くのもなってことで、止めちゃったんだわ。
行けば喜んでくれるだろうけど、ちょっとゴメンねってことで。
幸い明々後日が休みだから、かみさんと出かけるだろうけど。
施設での様子を聞いて来ないとね。

2009年12月12日土曜日

お見舞い

今日は暖かだったから助かった。

ばあちゃんと、今日はばあちゃんの姉さんのお見舞いに行ったのよ。
姉さんって、前にも書いたけど、近所に住んでる実姉で、足が痛いのをおして遊びに来てくれてた人で。
その姉さんに癌が見つかって、先月に手術されたんだよ。
(ばあちゃんの兄弟にとっては、ふんだり蹴ったりの年だったかもしれない…)
一ヶ月前にも見舞いに行ってるんだけど 、それは術前だったからね。
明日からまたばあちゃんは施設のショートステイに行くから、その前にってことでね。
寒いと困ったことだったけど、暖かかったし助かった。

本当はこの前に主治医に見てもらうつもりしてたんだけど、先生がインフルエンザにかかったってことで、止めたんだ。


今日はかみさんは仕事でいないから、僕だけで準備。
まずオシャレして、カーディガンを着せて、靴下履かせて。
ちゃんとね、かみさんのしてる様を見てるから、スムーズに上着を着せられたよ。
寝たままの状態でね。
これは僕にとってはすごい進歩。
かみさんも後で感心してくれてたくらい。
そして、車まで抱いて乗せて、ちゃんと行って来れたもん。
姉さんもすごく喜んでくれたし、僕としても本当に嬉しい一時だった。
そして帰りには、ばあちゃんの友だちにも偶然会えて話も出来たし。
本当にいい一日だったわ。

2009年12月11日金曜日

洗髪

昨日は洗髪をしてあげた。

本当に白くなってしまった髪、それも少なくなってしまってるし。
それなりにおシャレで、美容院へ行って染めてたんだけど。
でも洗ってあげてる時は、気持ちよさ気でね。
僕の頭の持ち方が不安定で、一瞬恐々って表情してたけど。
(ゴメンナサイ)

そして、その後は身体を拭いてあげて。
前にも書いたけど、暖っかなタオルを肌にかけてやると、本当に幸せそうに「気持ちいい」ってつぶやいてくれて。
(本当はお風呂に入れてあげたいんだけど、自分で歩けないからちょっと無理なんだよね。)
そして仕上げは、肌がカサついてるからローションを塗ってあげて。
そうそう、乳液はね、手に載せてあげるとちゃんと自分で顔に塗りつけるんだよ。
マッサージするように。
こんなことは病院では全く出来ないし、施設でも多分やれないから、家にいる時くらいはね。


そうそう、わかってると思うけど、これだけのこと僕は出来ないから。
僕はあくまでも補助(笑)。
でも、うちの人は洗髪以外は一人でチャッチャとできちゃうんだよな。
すごいわ。

2009年12月7日月曜日

嬉しかった

昨日ばあちゃんのレベルが上がってる話を書いた。
で、今日も晩ご飯を一緒に食べたのよ。
かみさんも僕も遅いから、ついさっきの事なんだけど。

昨日はね、ちゃんと自分で食べれたから驚いてたんだけど。
今日はそれ以上に、箸を使って大根の煮物やらお味噌汁の豆腐やらちゃんと食べたんだって。
認知症の重症の人を見てない人にはわからないけど、これってすごく驚きの事実なんだって。
認知症にパーキンソンが入ってるせいで、手がどうしても震えるんだけど、それでもちゃんとこぼす事もなく、自分の口に運んでしっかり食べてた。
もう僕なんて、自分の食事はあっちに置いておいて、ずっと見てたもん。

すごいね、生きるって。
本当に感動した。

2009年12月6日日曜日

久しぶりに

2週間のステイを終えて、ばあちゃんが今日戻ってきた。
施設からの連絡帳によると、食事はなんとか自分の手で食べれるようになったとされている。
じゃ、家でも出来そうだねってことで、車イスに乗せて台所まで連れてきてみた。
この車イスに乗せる時に、僕だけで抱き上げても全然痛がらなくて、完全に大腿骨骨折は治癒したようで。
まずこれが嬉しいことだった。
そしておじやとお味噌汁と大根の煮物をテーブルにおいて、まずいただきます。
大根を小さくしてあげた。
味がよく染みていて美味しいって喜んでくれた。
そして、お茶がない事に気付いたから、お茶の用意をしたんだけど。
その間に、目の前のスプーンを手に持って、自分で茶碗からおじやをすくって食べていた。
僕が見てないところで。
そりゃやっぱり完璧には食べられないから口の周りにつくんだけど、ティッシュを手にして自分で口を拭って奇麗にしてるの。
そんな様をみて、かみさんも大喜び。
もちろん僕は言うまでもなく。
前もレベルが上がったってこと書いたけど、今まで自分で食事なんて出来なくて、ベッドの中で食べさせてもらってばかりだったから。
これは家族にとっては、驚きとともにすごく喜ばしい事なのよ。
もう、何も言う事ないくらいね。

そんなばあちゃんの様子を見てるだけで、自分がすごく優しい気持ちになれるんだわ。
それもまた、僕にとっては嬉しい事。

2009年11月29日日曜日

面会

ショートステイの間の休みには、必ず面会に行ってくる。
それは、第一に顔を見る事が人の基本だと思ってるからと、お世話をして下さってる職員さんに、直接話を伺う意味もあるんだけど。

今日も静かに目をつむっていたけど、意識はハッキリしていた。
職員の方の話だと、お昼も自分でちゃんと全部食べられたようで。
それはとっても、家族としては嬉しい話。
家にいる時は、家族の都合に合わせてもらわなきゃいけない面があって、どうしても手をかけて時間を短縮する事を優先してしまうからね。仕事があるから、それはそれで仕方ない事なんだけど。
だから、こうやって外でいろいろな刺激を受けている事が、改善に繋がっているんだなと痛感した。

帰るときに、
「ばあちゃん、今週末に戻って来れるから、待ってるし。今日は帰るね」
と言うと、
「ありがとう。気をつけてやるんやよ」
って逆に心配されてしまって。
意識がしっかりしてたら、いつまでも親は親ってことなんだね。
ありがたいわ。

2009年11月25日水曜日

社協

何故か今年は、市の社会福祉協議会の地区の福祉委員になっていて。
今日講演会があったから参加してきたんだよね。
で、講師の方は、介護施設の理事長の方で。
いちいち話しに納得をしながら聞き入っていた。
そりゃ多少手前味噌的な話もあるから仕方ないけど、それ以上に感銘を受ける言葉も聞いたし。
会社帰りでおなかもすいてたけど、それでも有意義な2時間だったわ。

2009年11月20日金曜日

胃瘻(イロウ)処置

正直に、誤嚥性肺炎になった時は、この先どうしようかと思った。
こういう認知症の老人が亡くなる原因の上位に、必ず誤嚥性肺炎があるから。
うちのばあちゃんのように、嚥下(えんげ)障害があるわけだから、その可能性は高いわけで。
だったら、胃瘻処置をとる必要があるかもしれないって考えてた。
幸い主治医の先生は、そのチューブの交換が在宅で出来るような腕をもってられるようだから、あとの処置は問題ないと思いながら。
ただその処置のために2、3週間の入院が必要なのが少し気にかかってたんだけど。


とは言え、いまだにその処置には踏み切っていない。

2009年11月17日火曜日

誤嚥

誤嚥性肺炎には気をつけないと。
ばあちゃんたちのような人の場合、どうしても 飲み込む力が弱くて、食事や水分が誤って咽頭や気管に入ってしまって、それが原因で肺炎になってしまうことがあるそうで。
実際ばあちゃんも、ステイ先で微熱が出たことがあって、戻ってきてから主治医のところに診察に行ったことがあった。
やっぱり肺炎を起こしていて、抗生物質を投与してことなきを得たんだけど。
正直、今の総合病院なんかでも、看護士さんの扱いがぞんざいで、こういう病気になることもあるようで。
だから、水分をとる時にも気をつけなきゃいけないんだって、僕でも注意するようになったんだよね。

2009年11月14日土曜日

エンシュア・リキッド

一時期、食事がとれないときがあって。
それは、歯が悪くてってこともあったんだけど、本人の中に食欲がうまれなかったってことが大きくて。
そんな時に、主治医に処方して飲ませていたのがこれ。
エンシュア・リキッドっていう食事がとれないときに用いる総合栄養剤。
 ショートステイ先にも持たせてる。





バニラ、コーヒー、ストロベリーと三種類の味があるようなんだけど。
僕は食べてないから美味しいのかどうかわからないけど、栄養価は抜群なんだろうね。
処方されて買える商品だから、よけいにそう思う。
しかし、僕が知らないだけで、世の中にはいいものがいっぱいあるんだね。



2009年11月12日木曜日

嬉しかったこと

ある時、ばあちゃんのお兄さんが見舞いに来てくれはった。
兄さんは、ばあちゃんより10歳上。
でも、口も達者ですこぶる元気。

この日のばあちゃんは、本当に認知症なんて全くなく、単に骨折して寝たきりになってるだけの人だったのね。
兄さんとの昔話にも花が咲いて、そこに姉さんも加わって多いに盛り上がってた。

そんな時に兄さんが、「今どんな思いでいる?」なんて聞いたんだよね。
そしたらばあちゃん、何て言ったと思う?
「私はこうなってしまったけど、この子ら二人(つまり僕とうちの人)によくしてもらってるし、幸せだよ」って。
兄さんはそれ聞いて涙ながらに「そうかそうか」と手を握ってるし。
うちの人も、それを聞いて涙ぐんでるし。
涙腺の弱い僕は、もっとこらえるのが大変だったくらいで。

でも正直、この時初めて施設にショートステイで何日か預け、あとは家で面倒を見るという、今のスタイルで間違ってなかったんだなって、つくづく実感出来たの。
無理にずっと家で面倒を見なくても、ちゃんとわかってくれてるって、本当に嬉しい言葉だった。

2009年11月10日火曜日

妄想3

ある日のこと、仕事から帰るとうちの人がばあちゃんに晩ごはんを食べさせていた。
その日のばあちゃんは調子がいいのか、話も通じて楽しげだった。
そこへ僕が入ると、一瞬怪訝そうな顔はしたものの、それ以上気にせず食事を続けていた。
「ただいま」に対しては、ちゃんと「おかえり」と答えてくれた。

食事が終わった頃うちの人が、「私、誰だかわかる?」と聞く。
脳に刺激を与える意味もあり。
ちゃんと誰なのか、正しく答えられる。
「じゃ、僕は?」と尋ねると、
少し間をあけて、
「おかしいな、浮気して離婚して出て行ったはずだから、家にはいないはずなんやけどなぁ〜」と…。
うちの人の眉が一瞬動く。
そして焦る僕。

よけいなことだけしっかり覚えてるし。

だけど、これも妄想なんだから、妄想、そう妄想なんだと、自分にそう思い込ませてる自分が居た。
何だかバツが悪くて、そのまま部屋を出て行った。





それから先のことは…、ここでは書けないから…。

2009年11月8日日曜日

上がり框

車イスで移動出来るようになれば、外へ出かけることも容易くなる。
でもそのためには、どうしても上がりかまちの段差が問題になる。
僕の家の場合、玄関、裏口、勝手口と3カ所出入り出来るところがあるけれど、何れも30センチくらいの段差が存在する。
だから、車イスだとどうしても、二人で吊ることになる。
とは言え、いつも二人居るわけではないから、ばあちゃんの居る部屋の近くの勝手口に簡易のスロープを取り付けれるようにした。框に手すりをつけ、そこにアルミブリッジを引っ掛けられるようにした。このブリッジは元々がトラクターなどをトラックに乗せる時のためのものだから人の一人や二人の重さは問題にしないけど、はしご状になっているから車イスでは通れない。ので、板を渡して通れるようにして。
これでなんとか、うちの人一人でも車イスで外へ連れ出すことが出来るようになったんだわ。



2009年11月7日土曜日

車イス

そうこうしているうちに、骨折から一月近くが経過して、まだ痛がるもののさほどでなくなってきたから。
車イスの移動も可能になってきたのね。
だから、今度は車イスをレンタルしてもらうことにしたんだよね。
今回も新品の車イスが届いて。
それもまた、kawamuraの新リクライニングという一番いい種類のが。
僕の概念だと、こんな頭までホールドするような車イスなんて存在してなかったから、ちょっと驚き。
でも、ばあちゃんのような状態だと、頭までってのがすごく重要なんだって思って。
写真では80度くらいまで立ってるけど、45度くらいまではリクライニングするんだわ。
だから、ショートステイ先の職員の人も、いい車イスだって驚いてたくらいで。
 探せばいろいろあるんだね、今の時代。
ちなみに定価16万円ほど。
月のリース料金は、@800円です。


2009年11月6日金曜日

洗髪

これがまた大変なんだわ。
普通の人にはどってことないかもしれないけど。

とにかく、ベッドの上に寝たまま洗髪をしなきゃいけないわけだから。
まずベッド自体を上げられるところまで上げて、ばあちゃんの頭だけマットの外に出す。つまり、頭だけは空中に浮いてる状態なんだわ。それを僕が支えてることになるんだけど、何せ脊柱管狭窄症の身、この中腰状態が拷問に近いくらいキツい。
赤ん坊を抱く時のように、頭を目一杯開いた右の手のひらで支えて、左手でシャンプーを撫で付ける。そこへかみさんが両の手で洗髪をするという状態。ばあちゃんにしたら、ぎょうさんの手で洗われてる感じかな。もしかしたら、それもはっきりわからないかもしれない。
とにかく、家での洗髪は、到底一人では無理。
身体を拭いてあげることは、僕には出来ないけど、うちの人は一人でもしてくれてる。

でもね、気持ち良さそうにしている顔を見てると、腰の痛いのも忘れそうなくらいなんだよね。
そりゃもちろん、後で腰が痛くてたまんないけどね(笑)。

2009年11月4日水曜日

身体の移動

前に、床ずれが出来ないように数時間ごとに動かさなくてはいけないってこと書いた。
うちはエアーベッドが借りられてるから、その必要は無くなってるけど。
この身体を拭いてあげるときもそうなんだけど、身体を動かす時は直接身体を触ったりはしない。
だいたいシーツとかタオルケットとかを敷いて寝かせてると思うんだけど、動かす時はそのシーツなんかを引いて楽に動かしてる。また書くけど、車いすに乗せる時も、タオルケットを持って(担架のようにして)車いすに移動させてる。そうすることが、一番相手も楽なようで。
そして、オシモを洗う時は、変えるパンパースの上で直接洗ってすすいであげる。
相当今のオムツはよく出来てるから、それでベッドが濡れてしまうようなことはないから。
そりゃ、何事にもほどってもんがあるけどね(笑)。

2009年11月3日火曜日

お風呂は無理だから

大腿骨の骨折は、そうそう痛みが消えるもんではないようで。
動かす度に大声を上げるくらい痛いようだった。
当然歩くことも移動することも無理だから、お風呂には家では入ることが出来なくて。
さりとて、不衛生にしておくと、よけいな病気になったりもするから、2日に1度とかの頻度で身体を拭いてあげなければいけないのよ、健常者がお風呂に入るようにね。

その時の一つのテクニックとして、暖かいタオルをまずは胸においてあげるんだと。
「気持ちいいでしょ」って声をかけながらね。
今の看護学校なんかではこんなこと習わないから、例えば入院した際に身体を拭くケアがあったとしても、単に身体を濡れタオルで拭くという行為しか出来ないことが多いらしくて、クランケによってはいたく喜んでもらえるだとか。
これは身体を拭くだけのことでも痛がるから、その介助に僕がついていて教わったんだわ。
かみさんからね。

2009年11月2日月曜日

ベッドは良くなったけど

そりゃベッドはよくなったけどさ。
まだまだ骨折は悪いままで、横を向かせるのにも神経使いながらいたわけよ。
そりゃ、痛いわな。
僕は骨折はしたことがないから、せいぜい肋骨にヒビを入れたくらいで。
だから本当の痛さを知らないってことになるけど。
痛かったんだって、やっぱり。
我慢強い人だから日頃は何も言わなかったけど、それでもやっぱり動かす時なんかは罵声を浴びせられてるようなくらい怒ってたから。
今思い出しても、本当に申し訳ないって思う。
こうなる前に、僕は何も出来なかったんかなって。

2009年11月1日日曜日

組み合わさると

それぞれが組み合わさって、今家にあるベッドがこの写真で。



 定価ベースで50万円を越えることになってしまう。
もっとも1割負担だから、5万円そこそこで買えるんだろうけど、それももったいないような気がするし。
ケアマネさんもリースってこと、最初から言ってるしで。
これが月額2,000円なんだって。
確かに2年で買った方が安くなるんだろうけど、骨折が治ったら歩けるようになるといいなって思ってるからね。
そこまで長い間、寝たきりでいる予定ではないから。
それに、壊れたら負担なく交換もしてもらえるしね。


2009年10月31日土曜日

エアーマットレス

今はいい商品があるんだね。
昔は、床ずれを防止するために、数時間おきに寝返りをうたせたりしてたのに。
ばあちゃんが借りたエアーマットレスは、床ずれ防止機能のついたエアーマットレスだった。
これは優れもので、エアーによってベッドの最高点が絶えず変化していて、身体との接点が常時変わることによって、床ずれを防止するようだった。
実際に寝たことがないからわからないけど、柔らかくも硬くもなくいい感じかなと。
これだったら、ずっと同じ姿勢で寝ていても床ずれの心配はしなくてもいいよな。



ちなみに、定価が197,400円だって。
でも、お金でその労力とリスクが回避されるなら安いもんだよね。

2009年10月30日金曜日

ベッド

まぁとにかく、今のベッドのマットじゃ何れ床ずれも出来るし、その前にベッドに戻したとしても介護には低すぎて大変だって話をしてて。
担当のケアマネさんに相談したようで。
長引くのなら買うのもありだけど、とりあえずレンタルでいいでしょってことで、市の社協(社会福祉協議会)から借り受けることになって。
もしかしたら友だちのケアマネさんだから配慮してくれたのかもしれないけど、とにかく新品の介護用ベッドが届いた。
普通は上半身と足下を起こすのが普通なんだけど、これはベッドの高さも変えられるようになっていた。
何気ないことなんだけど、このベッド自体の高さの調整が出来ることが、後日寝たまま洗髪をするのにとっても役立ったのね。



この写真はフランスベッドのHPから持ってきた。
そこには、マットのない状態で定価で324,000円と記されていた。


2009年10月29日木曜日

そして

在宅介護と決まった。
とにかく、今までの状態と変わらないんだけど、骨折しているから動かすのが大変。
ちょっとでも動いたら痛むようで、苦痛に顔を歪めている。
歩いていた頃は介護パンツを履いていたんだけど、この状態では脱ぐことも困難になったために、オムツに換えた。それでも交換するときには痛がった。
ズボンの脱ぎ下ろしもパンツと同じため、オムツだけで過ごした。腿から先は、ジャージの股下を切ってゴムを入れそして足に履かせていた。これで寒い感じはしなかったはず。
起き上がることも出来ないから、食事も全てスプーンで口元に運んであげて食べさせることになった。
骨折している以上自分で寝返りをすることはない。
と言うことは、しばらくこのままにしておくと床ずれが出来てしまう。
そうなったら、もう寝ていることも苦痛になってしまうだろうと、それが気がかりだった。

2009年10月28日水曜日

自然治癒

後日あらためて病院へ行き、診察してくれた整形外科の先生と面談した。
曰く、
・骨折はしているが、治療法として手術、時間薬の自然治癒の2通りの選択肢がある。
・手術は、部分麻酔でするために、認知症のクランケには難しい。何故なら、術中に動いたりとかの自分で律せないことが起こり得るから。その上、体力的に耐えられるかどうかの問題と、傷が癒えるまでの時間が必要。
・自然治癒は、最低でも2ヶ月はかかるだろう。痛みが和らぐのには1ヶ月はかかると思われる。ただし、ギブス等で固定する術もなくため、動かなければ痛みを感じることはないが少しでも動けば痛みは伴う。
・何れにしろ、よほどのことがない限り寝たきりの生活になると思われる。
だった。
弟には事前に、僕に一任するよう話をしてあったので、僕としてはこれ以上身体にメスを入れて苦しめたくないから、後者を選択した。
骨折で入院出来る訳ではないので、完全に在宅介護ということになった。

帰り道、やるせない思いを抱きながら考えたことがあった。
「でも、これで徘徊の心配はしなくても良くなったね。」
正直、そう僕は考えてたんだわ。
ばあちゃんごめんよ。

2009年10月27日火曜日

気弱に

とにかく今は、ゆっくり寝ているしかない。
治療方針を相談に出向くまではね。

翌日だったかな、会社から戻って様子を伺いにいくと、
「私は、もうこのまま死んでしまう」なんて気弱なことを、真顔で言っていた。
聞き取れないくらいの、かすかな声で。
「何言ってんのよ、まだまだご飯が毎日食べられるんだから、そんなに急には死なないよ」なんて軽口をたたいてすぐ部屋を出た。
申し訳ないのと不憫なので、とても見てられなかったから…。

2009年10月26日月曜日

結局、それが認知症

家に戻ると、ばあちゃんが居た。
僕は骨折なんだし、きっと入院してると思ってたんだ。
でも、かみさんの話だと、今は何も治療出来ないし、手術する、しないの回答を聞いてからの行動となると。
つまり、認知症であるが故、この程度の骨折では入院する必要がないってこと。
だからもっと言えば、本当に認知症だけでは入院することは出来ないってことだよね。
処置出来る訳でなく、投薬治療と言っても、進行を抑える程度だから。
つまり、点数が稼げないってことなんだろう、きっと。

かみさん曰く、今の病院の若いスタッフだと、介護は出来ないしかえって扱いもぞんざいだと。
だから、こういう場合は肉親が見るに限るのって。

で、今後の治療方法について相談しなければいけないからと、僕が結局後日病院に出向くことになった。
当然、会社は休まなきゃいけないよね。

2009年10月25日日曜日

メールには…

かみさんからのメールには、「右大腿骨頚部骨折」と書かれていた。
つまり、この図が示すような、












骨盤と足との接点の部分、上の青いブル罫の部分が骨折したということ。
 転倒には気をつけてたんだよ、僕としては。
段差を極力なくして手すりをつけて、杖も持たせて。
一度夜中の付き添いの時に、オマルに行こうとしてベッドからずり落ちたことがあったから、この頃はベッドのマットだけにしてたんだ。
それくらい気をつけてたんだけど、それでも事故は起きてしまった。
もう悔やんでも悔やみきれないし、過ぎたことは享受するしかないんだけど。
それでも、それから何日も自分をずいぶん責めてた。

その日は、それから仕事も半分手につかず、「入院したのかな、手術するのかな」って考えていた。

2009年10月24日土曜日

痛かったよな…

ばあちゃんは新型インフルエンザにはかかってなかったから、結果としてはデーサービスに行ってもよかったんだけどね。
でも、こういうご時世だし、遠慮したんだわ。
で、翌週から行こうと予約してたんだけど、その前にある出来事が起きてしまった。

翌週の月曜、家に戻ると足が痛いってソファーに座り込んでいて。
テーブルにも移動出来ないからって言うから、ソファーの前に僕の仕事用の机を置いてとりあえず夕食を済ませてもらったんだけど。
聞くと、いまだにどこかわからないんだけど、ちょっとした段差でコケて尻餅をついたってことらしくて。
あまりに痛がるから、翌日にかみさんにお願いして病院へ連れて行ってもらった。
僕としてはどこかから自分でソファーまで移動してきてるんだし、ちょっとした打撲だと思ってた。
でも、かみさんから着たメールには、思いもよらない診断が書かれていたんだわ。

2009年10月23日金曜日

新型インフルエンザ

と言っても、ばあちゃんが感染したんじゃないけど。
お盆に帰省していた大学生の息子が、戻ったとたんに発熱して。
検査したら新型インフルエンザってことがわかったから、もしかしたら家族みんなが保菌してるかもしれないと思って。
翌週のデイサービスには、ばあちゃんを行かせなかったんだよね。
結局、うちの家族も弟家族も誰も発病しなくて、息子一人が流行に乗っただけのことだったんだわ。
人騒がせなやつ。

2009年10月22日木曜日

粛々と時は流れ

こんなことがありながら、状態が良かったり悪くなったりを繰り返しながら時は流れていって。
そうして2009年の夏になっていた。
この頃になると、横になってることが多くて一日中ベッドの上に居ることもあった。
お盆に戻った弟には、かなり弱ってる(って言うか気力の低下)と写ったらしい。
実際側で見ててもそうだったから。
毎年8月15日に家でお経をあげてもらってる菩提寺の住職には、例年通り3家族13人でお参りしたもののばあちゃんが居ないこと(たまたまこの日が、デイサービスに行く日だったから)非礼をお詫びしながら事情を話した。
それでも元気に戻ってきてたし、それは良かったんだけど。
でも、この日でデイサービスが受けられなくなるとは、誰もが思ってもいなかった。

2009年10月21日水曜日

妄想2

ある時、親父の名前が出てきた。
「女にもてて心配やったわ」って呟いてた。
ちょっと待ってな、そんな話一度も誰からも聞いたことないやん。
それに、僕が小学校に入った年に会社辞めて、自営業の道に入ったんやし。
ずっと二人で仕事してたやん。
どこでこんな話になるんかな。
それに、これも妄想なん?
お袋に聞かなきゃって思ってしまった(笑)。

2009年10月20日火曜日

妄想1

妄想はね、認知症の付き物なんろうね。
躁鬱と同じように、状態がいい時は普通なんだけど、悪い時は妄想の世界に生きている。
どういう訳か、ばあちゃんは赤ん坊が出てくるようで。
沢山の子に囲まれてるとか、よく言ってる。
座敷童でも居るんかいなって思うくらいにね。
よく子ども返りをするって言われるけど、それは今まで遭遇したことはない。
今でも、やっぱり毎日状態は変わっていて、妄想の世界と現実の世界を行ったり来たりしている。

2009年10月19日月曜日

認知度テスト

最初の診察をしてもらったK病院でも、初診の時は簡単な質問があった。
時刻を時計で図示したり、年齢や今日の日付を答えさせたり。
認知症の簡易検査の一つなんだろうけど。

これは、認知症の介護レベルの認定の際(当然見直しの際にも)、主治医に意見書
を書いてもらう時にも行われる。
ミニメンタルステート検査とか、長谷川式簡易知能評価スケールとか病院によって
違うのかもしれない。
いつだったか付き添っていった時も、このテストをされてた。
ばあちゃん、野菜の名前を言いなさいって、野菜なら看護士さんも知らないくらい
知ってるやん。
どうしてそんな少ししか出ないの?
オクラなんて珍しい物でなくて、キュウリはナスがあるやん。
ゴーヤとニガウリは同じでしょ。
シイタケは野菜じゃないやん。
って、すごく歯がゆかった。

長谷川式
自分でやってみるといいかもよ。
http://www.u-raku.co.jp/03_u-raku/hasegawashiki/index.html

2009年10月18日日曜日

こちらはままあることで

ウンチのことは書いたけど、オシッコの粗相はずいぶん前から何度もあった。
ベッドの周りにはカーペットを敷いていた。何度も畳の上でされてたからね。
3月頃から僕が隣の部屋で寝てたことは書いたけど、たまに物音で起きれないときがあって。
状態のいいときはちゃんとオマルで用を足してて、オシッコの仕方がわからない時は、枕元まで呼びにくることもあった。だけど、本当に悪い時は粗相をしてしまうようで。
だから、夜中でも朝でも、起きると必ず様子を見に部屋に行ってオマルなんかを確認するんだけど。
ある時、ピシャって素足が水たまりにはまった感触があって。
オマルの真ん前に用を足してたようで…。
怒るに怒れないし、ゴメンな起きてやれなくてって謝りながら、明け方から掃除したこともあったわ。

2009年10月17日土曜日

その頃には

アルツハイマー型認知症、これがばあちゃんの病名。
その特徴の一つに、『小刻み歩行』という症状があるんだわ。
ばあちゃんも間違いなくそうで、この春の彼岸にお墓参り(家から歩いて数分のところにあるんだけど) に行ったわけよ。
家を出てすぐのところにちょっとした坂道があって、そこにさしかかった時、「勝手に行ってしまう、止まらない止まれない」と言いながら、坂道を小走りに走っているような状態で下がっていって。それも歩幅が20センチもないくらいの状態で。
あわてて後ろから抱きかかえたからこけることなく立ち止まったけど。

その頃から、家の中で杖をついて移動するように、杖を買い与えてた。
普通に平坦なところを歩く時の歩幅は、せいぜい15センチ。
チョコチョコって感じで歩いてる。
よちよち歩きって感じ、歩き始めた子どものように、一歩一歩確かめるようにすり足で。

僕の家は典型的な古い田舎家屋。
全然バリアフリーなんて考えられてないから、いたる所に段差があって。
ちょっとした段差も、つまずく原因になるし、降りなきゃいけない時は、まだ不安なんだろうね。
だから、この頃に意識して、段差をなるだけ少なくするように踏み台を作ったり、何カ所も手すりを付けたりした。
ばあちゃんがコケて、痛い思いをしなくていいようにね。
そのくらいのことしか、僕にはしてあげられなかったから。

2009年10月16日金曜日

刺激にはなってるから

デイサービス。
幼稚園へ行っておいで。
温泉へ行っておいで。
そう言って送り出してた。

それはそれで、少なからず刺激にはなってたと思う。
一人ちょっとでも触るとスピッツのようにキャンキャンと騒ぐおばあさんが居て。
その人を避けたいのに、何故か隣に座っているとぼやいてた。
「今日は吠えるばあさん居たかい?」
「そうよ、また隣やったんやわ」
そんな会話が出来てたから。

2009年10月15日木曜日

そしてデイサービスへ

どんな施設がいいのか、それはどこにあるのか、そんな話をよくした。
市の介護老人ホームは3年待ちだと既に聞いていた。
僕は家から車で5分くらいの、民間の施設でいいやんって思ってた。
でも、ケアマネの友人に聞くと、そりゃ立場上こういう言い方しか出来ないけど、「私だったら、私の親は預けない」と言う。
ってことは推して知るべしなんだろうし。
かみさんの勤務先の近くにそこの市営の施設があるんだけど、そこは私の地区は区域外ということで受け入れてもらえないようで。そこの市役所の老人福祉課に友人がいるから、よほど頼もうかとも思ったけど、彼を困らせるだけだし断念。
ステーションの婦長さんにもいろいろ聞いた。
かみさんは時間をつくって、いいと思われる民間の施設何カ所かを実際に見てきてくれて。
そんな時に、ケアマネの友人から、ショートステイの前に市の施設でデイサービスから始めたらどうかというアドバイスをもらって。
そこだと、多少彼女の目にもとめてもらえることもあって、それをお願いすることにした。
で、毎週木曜と、僕の土曜休みの土曜だけ、お世話になることにした。
本当は迎えに来てもらえるんだけど、木曜はかみさんが、土曜は僕がそれぞれ施設まで送っていくことにした。

僕の土曜の時間がある程度拘束されることになったけど、それはそれで仕方がないこと。

2009年10月14日水曜日

僕の方もハードだった

2009年3月

薬もその頃には「アリセプト10mg」と、アメリカは20mgまで処方されるようだけど、日本ではMaxのところまで処方されるようになってきて。

認定が上がったことが表すように、やはり状態は悪くなって、幻覚やら妄想が頻繁に起きるようになってきていた。
この頃から、添い寝は出来ないまでも、せめて夜だけでも近くにいてあげようと、襖を隔てた隣の部屋に簡易ベッドを置いて寝るようになった。夜中に少しでも物音がすると起きて、オマルを使えるか見てあげたり、たまには徘徊のように部屋から出てくることもあった。昼間寝てることが多いからか、だいたい1時間起きに起きるという状態が毎日毎日続いて、正直会社で眠くて仕方ない時もあったくらい。でもこれは、8月まで続けてきた。

この程度だったら、ずっと家に居てもらっても何とかなるんじゃないかなって思いと、この状態を続けたらばあちゃんも僕らも、肉体的にも精神的にも参ってしまうかもしれない、という思いが折り重なるようにグルグル頭の中を巡っていた。これ以外のことが考えられず、春になって休みに農作業が入ってきだして、身体もきつかった。

この頃始めて、近所(と言っても、歩くと20分くらい)に住むばあちゃんの姉さんにばあちゃんの正直な状態を打ち明けた。
ちょっと元気がないけどって心配して、痛い足をおして遊びに来てくれてたから。

2009年10月13日火曜日

そりゃね

息子はこの時だけだったし、僕にしたってそれほど数多く遭遇してるわけじゃないから。
かみさんは、もっともっとこういう場面に遭遇してるから。
でもこうやって、だんだん壊れていくばあちゃんを見るのが、正直辛いなって思うこともあって。
このまま在宅で面倒を見ていくとしたら、間違いなくかみさんは仕事を辞めなきゃいけないなと。
だとしたら、ショートステイとかの方法を考えなきゃいけない時期にきたねと話をして。
市の担当のケアマネージャー(以後ケアマネ)が、かみさんの友だちでもあるからプライベートでいろいろ相談を始めて。

それと平行して、症状も重くなってきたから再認定をしてもらった。
そして今度の認定は「要介護3」

2009年10月12日月曜日

息子も

中坊の息子の話。
平日だから、夕方は彼とばあちゃんしかいないわけで。
今でテレビを見てたら、何だか台所でばあちゃんの様子がおかしいって思ったそうな。
ズボンを下げてしゃがんだような…。
ばあちゃんがその場を離れたから見てみると、やっぱりウンチをしてて。
ただね、ばあちゃん何を思ったのか、バケツに座ってしたようで。
彼はそれを、外まで持って行っただけで済んだんだわ。
(後始末は、夜戻った僕がしたけど)
でもね、彼はばあちゃんのすることに全く腹もたてずに、ちゃんと上手に接してくれてて。
小さい頃世話になったから、その恩返しだって。
ばあちゃんがちゃんと物がわかっててこの話を聞いたら、きっと涙すると思うな。

2009年10月11日日曜日

恥ずかしいけど、これが現実

今年に入ると、好調、不調の差が激しくて、不調の時はパンパースの中にウンチをしてるのがわからない時がある。
ある土曜、僕が昼ごはんを作って一緒に食べようと呼ぶと、居間に寝ていたばあちゃんが臭いとともにやってきた。
「ウンチしてない?」って聞いても「してない」と言うから、おかしいなと思いながらも極力話しかけながら食べ始めて。でもやっぱり変だよなってことで、ちょっとお尻を覗くと、もうしてから時間が経っていてましてや寝転んでいるから、いたるところに広がってついていて。ズボンに入れたセーターの端にまでも…。
怒りたいけど怒れないから、そのままトイレに連れて行って、まず下半身をあらわにしてお尻まわりだけぬぐって。それからシャワートイレを何度もかけて、拭いても拭いても取り切れなくて。あまり何度もするもんだから、シャワーが水になってしまって、「冷たい!!」ってこっちが叱られて。
それでも何とかきれいになったから、それからお風呂で本当のシャワーをあてて洗って。
って、食事前にとんだ騒動だったわけで。

2009年10月10日土曜日

あえて話すことじゃないから…

オマルの掃除は、使ったことに気づいた時にはしてた。
と言って、別にかみさんに報告することでもないし、きれいだったら彼女も何もしないんだから、ね。

でもある時、帰ってばあちゃんの様子を伺いに部屋に入る(これが日課になってたから)とちょっとウンチの臭いがしてる。オマルを覗くと驚くほど山盛りになっていて。もともとひどい便秘の人だから出るときには出るんだろうけど、そのままにしてもおけないから片付けようとした。そしたら「後で世話する人がきて片付けてくれるから、そのままにしておけばいい」って言うわけよ。もうこれが幻覚なんだよね。
でもまぁ、その時はきれいに片付けてあげた。
そして、僕より遅く戻ってきたかみさんと夕飯を食べてた時彼女に、「たまにはオマルの掃除もして欲しいわ」なんてイヤミ言われたけど、何も言わずに「ハイ」とだけ答えておいた。
でも、その日寝る前に「さっきはゴメン」と一言かみさんが言うのね。
どうやら(かみさんが様子を伺った時)正気になってたばあちゃんが、ウンチが出たこと、それを僕が片付けたことを話したらしい。
「別に…」
と言うと、次の言葉が降り注いできた。
「量はどれくらい? 色はどうだった? 硬さは?…」
その時、それを見て健康状態を推し量る必要があることを初めて知った。

2009年10月8日木曜日

ここからが本当の介護で

どうしてアルツハイマーが進行すると、シモの処理が出来なくなるんだろ。
誰もがそのようだから。
今年に入ってからは特に、トイレの仕方がわからないからって、トイレまで連れて行き指示をしてあげる。
「まずフタをとって、そっちにお尻を向けて立って、パンツを脱いでね。それから座って用を足して終わったらトイレットペーパーで拭いて」なんて言うと、一応その通りにはしてくれるんだけど、一人だと出来ない。オマルではまがりなりにも何故か出来るから、いつもそこでしてくれればいいんだけど、どうしてか昼間はトイレに行きたがって。当然去年から介護用パンツ(大人用パンパース)を穿いてるから、間に合わなくても問題はないから、自分の足で歩かせて自分でさせるように努めてた。
かみさんの場合は、もう少し手を添えたりしてあげてたようだけど、別に僕が連れて行ってもばあちゃんから文句は言われなかったな。

そうして、お風呂も入れなくなってきてたから、扉を開けたままずっと様子を見ててあげてた。身体とかは自分で洗えないから、それはちゃんとこっちが頭の先からつま先まで洗ってあげて。湯船につかってるのはやっぱり気持ちいいようで、これは喜んでくれてた。
でも正直、お風呂だけはかみさんにほとんど任せてたわ。
なぜって、今なんかもっとそうなんだけど、やせ衰えてる母親の姿を見るのが、正直辛くて直視出来なかったから。

2009年10月7日水曜日

これからのこと

2009年正月明け

さて、認定が出たこともあり、今後をどうするか考える時期に至ったわけで。
お正月に戻ってきた弟とも話をしたけど、僕に一任するとだけ。遠いから面倒が見れるわけじゃないけど、金銭的な負担はするからということで。
で僕としては家で見たいと思ってたけど、共稼ぎにはそれも負担。まだ自分のことは何とか出来てたけど、それでもやっぱり心配だから、かみさんはパートに勤務先に無理言ってしてもらった。これなら時間になったら気にしなくても帰ることが出来るから。この頃から、朝は食事の世話をして化粧もそこそこに飛び出していって、お昼に戻って一緒に食事してまた飛び出して、そして勤務を終え戻ってから夕食の支度をしてという彼女の生活が始まって。
だから僕は、よけいに休みに出かけないように意識して努めるようなっていた。

2009年10月6日火曜日

癒しの…


そんな中、少しでもばあちゃんの癒しにならないかなと、柴犬の赤ん坊が我が家に嫁いで(オスだから婿いで?)きた。9月生まれなんでちょうど今1歳を越えたところなんだ。
だけどばあちゃんにはちょこまかしすぎて相手が出来ず、結局かみさんの癒し犬になってしまったわ。
彼女が携帯で撮った写真だから画質が悪いけど、来て2月後くらいの彼。





そして、本当のアルツハイマーとの戦い?は、この頃から始まっていた。

2009年10月5日月曜日

介護認定

2008年冬
横になることが増えてきた生活で、活力も見られないし。それで主治医と相談して介護認定の申請をすることにした。必要書類をそろえて介護認定調査をケアマネージャーにしてもらい審査。結果は『要介護1』
『要支援2』がせいぜいかなと思ってたから、正直二人ともいきなり「要介護」認定がされるとは思ってもいなかった。
この時に初めてかみさんが、これから冬で寒くなるからポータブルトイレを買うからと言い出して。かみさんは友人である総合病院の訪問看護ステーションの看護士長(婦長)さんに紹介してもらって、専門業者で購入してきてた。僕は全く知らなかったんだけど、介護手帳を持ってると自己負担1割で介護用品が買えるそうで、それで僕が先走ってホームセンターなんかで定価でちゃちいのを買わなくてよかったってことに気付いたんです。
たしか、1割負担で3,000円以上する立派なのだから、買ったのって。

2009年10月4日日曜日

自暴自棄に…

2008年の秋
決定的におかしいのではなく、なんだかおかしいなって状態が続いていた。
だけど、確実に病気は進行しているんだろうなと、心の中では考えていた。

この頃、正直この先どうしていいかわからずに、自分自身の考えが持てず誰かに相談したかった。
会社での役職が、自分としてはこれ以上上がることはないだろうと思えるところまで上がったことによるストレスもこれに加わったことで、精神的に、少し自暴自棄になっていたから。よけいにそれを求めていた。
と言って男性に聞いても、たぶん答えがあるわけないし。
どちらかって言えば、男にしたら避けたい話題だし、ほとんどが奥さんに任せてるだろうから。

そんな中、ある時に知り合いの奥さんと話す機会があって、思い切って「嫁ぎ先の両親がボケたらどうする?」って聞いてみたんだけど、思いがけない答えが返ってきた。
「病院に入れて、兄弟で順番を決めて平等に介護する」って。
この時思ったんですわ、こういう問題は誰にしろ、経験している人、した人にしか話せないし聞いちゃダメなんだなって。
彼女にとっては、自分の親も含め全員健康のようで、介護のことなんて非現実的な話のようだから。
それだったら、こういう返答がくるのも当然のことだし。

でもこれ以後僕は、この話題を誰にも話していない。
アルツハイマーは間違いなく病気。
でも痴呆=阿呆のように感じてしまっていて、話すことが、その人の名誉を傷つけてるような気持ちが心の中にあるからなんだけど。と言って、そういう人をそういう目で見てるかと言えば、それだけは決してないよ。

それでも…

でもね、この月の終わりに弟夫婦の誘いで、沖縄へ旅行に行ってるくらいなんだよ。
ちょっと心配だったけど、弟曰く、全く問題もなく痴呆すら感じられなかったって。
それに日ごろは、朝夕の涼しい時には畑の草取りをしてくれたりしていて、それまでと変わらない感じだったし。
それに処方された薬は、アルツの進行を押さえる薬ってことだったから、僕としてはこのまま平行移動するだけだと思ってた。進行は止まったままだと。
でもね、秋を過ぎ初冬になった頃には、やっぱり徐々に進行してきて。
幻覚を見るのか、訳のわからないことをたまに口にするようになってきたんだよね。
ただだけど、まだそのくらいで、徘徊するとか誰が何なのかわからなくなるとか、そういう感じはなかったし。僕らもそんなに感じていなかった。
2008年になって年が変わった頃から気力がなくなったのか、じっと横になってることが増えてきたんだよね。
トイレに行くのも辛そうだから、部屋にポータブルトイレ(介護用のオマル)を買って置こうよって言っても、それをしたらもっと一気にボケるからっと言って、かみさんに却下された。

2009年10月3日土曜日

そして、その日が…

2007年7月

その先生は家から45分くらいのところにある、『ボケ外来』という専門の診療科を設けてるK病院の部長先生。その学会では有名なんだろうね、たけしの『家庭の医学』という番組で、ボケについて取り上げられた時に出演されてたくらいだから。
で、この日が正式にMRIを撮って診断をしてもらう予約がしてあって、仕事を休んで病院に連れて行ったわけよ。
MRI撮ってる間2時間くらいボ〜っとしてなきゃいけないわけで、ひたすら待つだけ。そのうちかみさんも午後から来てくれて、それでもまだ待ってて。これが大きな病院の現実なんだけど。
そしていよいよ順番が来て、診察室で話を伺ったんです。
ばあちゃんには、年齢相応の物忘れ程度の説明だけして安心させて、われわれだけ残されて本題に…。
結論は、「脳にある海馬が萎縮してきています。アルツハイマーの進度としてはちょうど半分くらいの病状になる」とのこと。おおよそ見当がついてて覚悟してたけど、この言葉は心臓に突き刺さったような衝撃だった…。
この先生実にいい人で、こんな遠い所まで通う必要はないから、薬は今の主治医に出してもらうように連絡しておくからと言ってもらえて。
この時処方されたのが「アリセプト(5mg)」。
しかし帰りの車中、ばあちゃんはホッとして元気に話しかけてくるけど、僕はどうしてうちのばあちゃんがって思いでいるから、すごく辛い会話だった。

その日の心の中での葛藤。
『どうして僕ばかりこんな目にあって辛い思いをしなきゃいけないのか。親父を15年前に亡くしてわからないままに家のことをやってきて、何もバチのあたるようなことしてないのに。それに、ばあちゃんだって、、、まだ70歳なんだよ…』

ことの始まりは

2007年夏 
うちの夫婦は共働きだから、ずっと晩御飯はばあちゃんが作ってくれていた。この頃は朝メニューを台所のホワイトボードに書き残してあって、夕方冷蔵庫から材料を出して作ってくれていたのね。でもそんな頃にある事件が起きた。
私は痛風があるから水分摂取量が多くて、どうしても夜中の3時頃とかにトイレに起きるんだけど、その日も同じようにトイレへ。で何気なく台所のテーブルを見ると、焼肉が一皿置かれてるんだわ。夕飯にこんなのあったっけかなって思いながらも、それ以上気にもしないでまた寝たんだけど、朝かみさんがどうしてこんなものが???って言ってるんだよね。
ばあちゃんに聞くと、孫が弁当を作ってくれって言うから夜中に起きて焼いたんだと。
これってもしかしたら…って、その時初めて夫婦してアルツハイマーを意識した。
そんな事件が2度立て続けにあったから、主治医の先生に相談して正式に検査をすべきという結論に至って。
それで、『ボケ』を専門に診察してる先生の友人を紹介してもらい受診することになったんだよね。

2009年10月2日金曜日

いつからなんだろ…‥

2007年春以前
いつからその症状が出てたのか、今となってはわからないんですわ。
でもね、2年前の2007年には、気分の浮き沈みが激しいってことで、鬱の薬を処方されてたんだよね。
もともと潔癖性なくらい神経質で、ちょっとでも体調が悪いと内視鏡したりするくらい、健康には気を使ってた人なんです。
特に配偶者を若くして亡くしてるからかもしれない。
とにかく、いつからかわからないけど、鬱の症状だと思ってた。
単に浮き沈みが激しいだけだって。
これも一つの前触れだったのかもしれないなって、今になって思うんだけど…。

2009年10月1日木曜日

はじめに

一昨日ばあちゃんがショートステイ先から戻ってきました。 きっと施設での刺激があるのか、すごく状態が良くなってきてるんです。
今まで悩み苦しんできましたが、それも何も相談なり聞くことが出来ないんです、男社会では。 そんな人たちの参考に少しでもなればと、ここまで来て書き連ねることにしました。
まずはこうなるまでの流れを順に書いていきます。 その間に、もしかしたら誰かの参考になる事柄があるかもしれないので。 その辺を読み取ってもらえたらありがたいです。